【2139 日目】尽きぬ不安と無力感

2021.12.11のFaceBook投稿の転載

今朝早く実家で大工と打ち合わせ予定があり家を出るとすぐに、泣きながら歩いている男の子にでくわす。

生き別れの息子と同じ位、小学2年生前後。

両手には、持ち手の無い大きな透明のビニール袋。袋一杯に酎ハイやビールの空き缶が入っている。零れ落ちそうになり、何度も立ち止まって持ち直しをしている。

手袋をしておらず、手は赤くなっていた。泣き続けている顔も赤く涙がこぼれ続けていた。

「持ってあげるよ」と声をかけても、首を振られ断られてしまう。泣きじゃくり言葉はでそうにない。

数メートル先を男が歩いていた。男は、手ぶらでポケットに手を突っ込んでいた。父親なのかどうかわからないが、男の子は、その男の指示で、空き缶の袋を持ち歩き続けているようだった。

身元を確認して、児相につなぎたく、目と鼻の先の直ぐ近くの交番に向かった。おまわりさんの反応は悪い。「虐待が疑われるので、身元確認して児相につないで欲しい」と頼んでも、事情聴取でどんどんと時間を取られてしまう。「早く助けてあげて、もう1時間ぐらい、あの男の子は、あの袋を持たされて、あの男に歩かされ続けているの」と同じ状況を女性が通報しにきた。それでも、おまわりさんは、子どもの年齢、身長、服装、どのような虐待なのか等、聴取をゆっくりととり続けた。「もう一時間ぐらい」という言葉があだになったのか直ぐに見つけられると思ったのだろうか。既に20分が経過していた。身元がわからなければ、児相につないでも何もできない。交番での聴取などいつでもできるので諦めて、男の子の後を追った。しかし、時すでに遅く見つけることはできなかった。

通報から30分経ち、ようやく交番のおまわりさんが、自転車で探し始めた。私が「虐待の疑いの男の子と男を見失った」と伝えると「そうなんですよ。ついさっき二人も交番に通報にきて。」とついさっき通報した私のことを既にわかっていないようだった。見失わさせた張本人である自覚はまったくないようだ。

管轄の北区児相に電話しても業務時間外、東京都児童相談センターに電話しても業務時間外。すっぽかしてしまった大工に謝罪の電話を入れる。

板橋区と豊島区の区堺での出来事だったので、板橋区交番だけでなく豊島区の最寄り交番にも、見回りの協力を依頼しにいった。

自宅にいったん戻って、児相の緊急通報先を調べて通報する。ゆっくりと交番と同じような対応をされた。今後どのような対応ができるか尋ねてみた。身元が分からない話なので何もできない。通報記録を作り管轄児相に送るだけということだった。

警察に相談に行って見失ったことが悔やまれる。

何故、私は男の子から強引に、酒の空き缶の袋を奪わなかったのだろう。

何故、私は男の子の冷えた手を握って温めてあげなかったのだろう。

何故、私はあの男に、こんな仕打ちをしているのか抗議しなかったのだろう。

この国の行政などあてにならないことを誰よりも知っている筈なのに。

私の敵は私だ。

拉致断絶との戦いの日々

ある日突然拉致され,関係を風化させられ,再会する事に罪悪感を持たされる虐待を受け,生き別れとなった愛する息子に知って欲しい実父の戦の記録です。 「酷い父親だった。お前は捨てられたんだ。」と聞かされ育つであろう息子が,いつの日か自分のルーツに興味を持ち真実を探した時の為に書き遺します。