叶わなかった儚い夢


息子が拉致され声も聞かせぬ断絶を強いられ1409日目

都心部だけれど住まいの隣に小さな神社がある。息子と毎日のように通った神社だ。

毎日、神社で手を合わせ、生き別れの息子が健やかに育つように

一日も早く自然な再会が叶うようにと祈り続けている。

桜のシーズンも綺麗だけれども、紅葉や銀杏や椿の花がこの季節には同時にある。

住まいの部屋の中には、茶色く色褪せてしまったけれども、息子と二人で綺麗な落ち葉を拾い集めたものが今もそのままある。どんぐりやまつぼっくりも。彼と私の宝ものだった。

記憶を呼び戻すきっかけとなるだろう、連れ去られるまでの従前の住居は、当時妻を信頼して名義を変えていた為に現在は不法占拠者と罵られ、立ち退きと家賃請求訴訟をされている。

息子が生まれるまでに休みなく必死に働いて、両親の介護に備えて実家近くに買った住まい、夢のマイホームだったけれども、立ち退かされ処分される運びになってきた。

想い出の品々もそろそろ全て処分しなければならなくなった。

息子は大好きだったおうちに2度と帰れなくされ、記憶からも完全に消されてしまうのだろう。

あまりにも無念だ。

息子の拉致、生き別れに関与した森法律事務所の弁護士らからは、私と息子に愛着関係などなかった(だから拉致断絶して何が悪いということ)と冒瀆されているが、今日もフェイスブックのタイムラインには、4年前の息子との懐かしい思い出が表示された。

森たちが裁判所に提出した書面では、私と息子が二人きりで過ごした日など殆ど無いとのことだったが、4年前の今日は、雨が降っていたので、息子に室内ボードパークデビューをさせていた。終日父子二人きりで過ごしている。

私の当時の投稿には次のように書かれていた。

息子との時間
永遠に続いて欲しい至福の時

その後の人生を知らずに幸せを噛み締め感謝していた。

あまりにも儚い夢だった。永遠どころか僅か数カ月後に突然、生き別れの人生にされようとは。

拉致断絶との戦いの日々

ある日突然拉致され,関係を風化させられ,再会する事に罪悪感を持たされる虐待を受け,生き別れとなった愛する息子に知って欲しい実父の戦の記録です。 「酷い父親だった。お前は捨てられたんだ。」と聞かされ育つであろう息子が,いつの日か自分のルーツに興味を持ち真実を探した時の為に書き遺します。