2023.12.02 03:47【2860日目】死に追いやられた母の誕生日FaceBookより転載https://www.facebook.com/taro.kojima.tokyo/posts/pfbid0cioa8RYUrXZZeXQey5XtpdDQ6ydJKB346H8gHoe8jLEqUMsh1QKRLTjKFpQmAG3tl2023年12月2日5年前の今日孫を連れ去られ生き別れにされてから初めての母の誕生日一気に老け込んでしまった。孫と一緒に行った時に買った上野動物園のパンダのぬいぐるみを抱きしめて3年後に他界した。監護権を独占させる為の離婚弁護士らの拉致ビジネスに殺されたようなものだ。この異常な事態を、『連れ去られたといって騒いでいる妻子に逃げられたモラ男』と差別、嘲笑するのが日本。本当に腐り切っている。
2021.07.29 01:28【2004日目】祖母の無念の死母(息子の祖母)が逝った。私が入院中で手術の翌日に高熱を出している時に旅立たれてしまった。昨年の12月2日、母の誕生日を祝った翌朝、脳卒中で倒れ、その後、コロナ禍の医療体制で会って励ますことが殆どできないまま、孤独を与え人生を終えさせてしまった。膝や腰が変形し動けなくなるまで、毎日花屋の店頭に立ち続け廉価で花を提供し続けた母だった。沢山の捨て猫を保護して、猫に囲まれて寝返りも打てずに就寝していた母だった。既に先立った愛猫たちのお骨を少しづつ袋に詰め、納棺される母に添えた。猫たちと一緒に安らかに眠って欲しい。父と結婚する前は、教会幼稚園の教諭をしており、子ども達が大好きだった母。自身の孫が余生の生きがいであった母。連れ去られ突然生き別れにされた孫に会いた...
2019.11.02 09:17孫に会いたい祖父母の想い両親は商店街やスーパーの入り口で、花を売る仕事をしていた。早朝の仕入れから、スーパーの閉店まで、長時間を休みなく、何十年も働き続けた。お金儲けに長けていることも無く、朴訥に地域の方に、廉価で良質な花を売り続けた。路上に近い売り場で、暑い日も寒い日も雨の日も、手がひび割れて血だらけになっている時も多かった。70歳過ぎて腰が曲がるまで働き続けた。70半ばになってようやく、初孫を授かった。目に入れても痛くない存在だった。