2019.11.23 06:04いい夫婦の日‐現代の義民たちの闘いいい夫婦の日フェイスブックのタイムラインには、〇年前の今日という表示がされる。昨日は、11月22日で「いい夫婦の日」だった。4年前まで、毎年その日には、花束を買って帰る習慣があった。当時妻は、いい夫婦の日を知らない様子で「どうしたの?」と尋ねていたが、説明せず「何となく」と答えていた。しかし、息子を連れ去られ連絡を絶たれ、係争を仕掛けられ続ける関係になってからは一変した。昨年のいい夫婦の日には、前日に法務省や裁判所や日本弁護士会館前で、街頭宣伝活動をし続けた影響で、喉がつぶれ声が出なくなっていたようだ。
2019.11.13 09:37拉致幇助裁判官らが容認されていた時代このブログは、真実を知らされずに育てられるであろう息子が、いつの日か真実を知る日の為に書き記しています。息子の母親に限らず、実父を排除して単独実効支配をする母親の多くは真実とはかけ離れた作話を刷り込み、生き別れの父親に会いたい感情を持たない様に洗脳していく。母親の作話に、思春期になり気付いた場合には、親子関係が崩壊することもある。生涯に渡り洗脳が続く場合も多い。生き別れでは無く、自然な親子交流が行われていれば、このようなブログを残す必要も無いのだろう。しかし、母親の作話とリンクする裁判所の判決文があったらどうだろうか。息子は、酷い父親だったのかも知れないと、探したい感情を持つことも無いだろう。息子が大人になった時にどのような日本社会になっているかわから...
2019.11.02 09:17孫に会いたい祖父母の想い両親は商店街やスーパーの入り口で、花を売る仕事をしていた。早朝の仕入れから、スーパーの閉店まで、長時間を休みなく、何十年も働き続けた。お金儲けに長けていることも無く、朴訥に地域の方に、廉価で良質な花を売り続けた。路上に近い売り場で、暑い日も寒い日も雨の日も、手がひび割れて血だらけになっている時も多かった。70歳過ぎて腰が曲がるまで働き続けた。70半ばになってようやく、初孫を授かった。目に入れても痛くない存在だった。