【810日目】息子との最期

2018年4月22日 FaceBookより転載

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息子と最後の面会

天気の良い日曜日の午後

裁判所の天下り人達指定の施設内での軟禁監視付で息子と再会した。

息子が従前の最大の愛着対象であった私を憎むように躾けられていることは前回の再会時に思い知らされた。

会話の制限の練習の成果を発表するような時間が分離強要された父子の唯一の接点だ。

私はその呪縛を解くためには軟禁監視をやめさせることは勿論だけれども,何より封印された記憶を解くために拉致前のお家への一時帰宅が必要だと要求した。同時に祖父母との再会を要求した。

裁判所の天下り人達は、拉致被害者の要求など微塵も聞く耳を持たず決裂した。北朝鮮以下だ。

裁判所が泣き寝入りしない親を高葛藤と評価して貶める事を思い知らされたので、妻の葛藤が落ち着くまで、こちらからは会おうとしない旨を表明する書面を裁判所及び妻代理人へ提出した。

父子の絆に興味無くさっさと終わらせたい裁判所も妻も大喜びだろう。

本来違法な筈の拉致断絶を,虚偽と誹謗中傷で合法化させた弁護士らも仕事の達成感に浸っているだろう。

なので,今後の面会交流の予定は一切無く,今日が最後の面会交流だった。

天下り人に連れられて,細くガリガリになり真っ白な息子が現れた。

夏日が嫌いな妻なので同居時は,父子二人で陽射しも暑さも気にせず遊び続けていたが,息子にはもうそのような機会は2度と与えられない。

息子は今朝から吐き続けて居るとのことだった。昨日までは大丈夫で今日だけで病院にいこうともしていないらしい。

息子は私に背を向け続け,天下り人の方を向き俯いていた。妻の感情が一体化している痛々しい状況だった。

私は息子のガリガリの背中をさすり続け息子があまりにも不憫になった。天下り人に面会交流を終了するように伝えた。私と息子の最後の面会交流は僅か15分で終わった。

私は,息子を811日ぶりに膝の上に座らせて目を見るように伝えた。

息子は目を背けずに私の目を確り見てくれた。

「覚えてくれ,パパの名前はこじまたろうだ。お前の名前はこじまゆうだ。覚えられるか?」

息子は「うん」と返事をした。

「忘れないでくれ,パパは毎日いつでも悠と会いたいと思い続けて居る。自然に会えるようになろう。」

息子は私の目を見ながら涙ぐんだ。

お互いの涙ぐんだ目を見ないで済むように抱きしめながら会話を続けた。

「忘れないでくれ。パパは悠を誰よりも愛して大切に思っている。」

白い小さな柔らかな手と固い握手で約束をした。

「自然に会えるようになろう」

昨夜,ある別居親から知らせを受けた。

10年以上前に連れ去られ生き別れにされた息子がフェイスブックで発見してくれ連絡が来たそうだ。

彼は,10年以上この日が来るのを待ち続けて居た。

しかし,現実は残酷だった。感動の再会とは成らず,想像以上に片親疎外が進んでいて今後連絡が来るかはわからないとのことだった。娘たちは連絡も取りたくないと言っていると聞かされたらしい。

改めて連れ去りの罪深さを思い知らされたとのこと。

彼の無念は計り知れない。

彼や私の子ども達のような悲劇を繰り返さない日本になって欲しい。

拉致断絶との戦いの日々

ある日突然拉致され,関係を風化させられ,再会する事に罪悪感を持たされる虐待を受け,生き別れとなった愛する息子に知って欲しい実父の戦の記録です。 「酷い父親だった。お前は捨てられたんだ。」と聞かされ育つであろう息子が,いつの日か自分のルーツに興味を持ち真実を探した時の為に書き遺します。